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神戸地方裁判所 昭和42年(わ)1573号 判決

本籍 《省略》

住居 《省略》

会社役員(元東洋レーヨン株式会社社員) 坂田忠雄

昭和一二年一月二三日生

〈ほか六名〉

右七名に対する背任、右坂田忠雄、三宅俊祐、後藤和男に対する背任未遂、業務上横領、右廣田素男、大須賀弘、廣瀬正己、関博之に対する賍物故買各被告事件について、当裁判所は検察官西尾精太出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人坂田忠雄を懲役一年六月に、

被告人三宅俊祐を懲役一〇月に、

被告人後藤和男を懲役八月に、

被告人廣瀬正己を懲役八月及び罰金五万円に、

被告人関博之、同大須賀弘、同廣田素男を、いずれも懲役六月及び罰金三万円に、

各処する。

被告人廣瀬正己、同関博之、同大須賀弘、同廣田素男においてその罰金を完納することができないときは、いずれも金二〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から、被告人坂田忠雄、同三宅俊祐、同後藤和男に対しては、いずれも二年間それぞれその刑の執行を被告人廣瀬正己、同関博之、同大須賀弘、同廣田素男に対しては、いずれも一年間、それぞれその懲役刑の執行を猶予する。

本件公訴事実中、別紙一記載の各事実につき、各記載の被告人は無罪。

訴訟費用中、別紙二記載の各証人に支給した分は、その七分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人坂田忠雄は、名古屋市所在の東洋レーヨン株式会社愛知工場(なお東洋レーヨン株式会社は昭和四五年一月一日東レ株式会社と商号変更したもので、以下同会社については便宜上東レと略称する)製造部工務技術課員であって、合成繊維製造設備等の開発改良等の調査研究及び研究報告書の作成並びにこれに附随して入手した同会社所有の合成繊維関係の調査研究結果資料を保管する業務に従事していたもの、被告人三宅俊祐、同後藤和男は同市中区松ヶ枝町所在の名古屋日野モーター株式会社に勤務し、自動車の販売に従事していたものであるが、被告人坂田忠雄は、昭和四一年一一月中旬ころ、先に同被告人が前記愛知工場工務技術課において、上司から職務上の参考資料として利用するため業務上預り保管中の同社所有にかかる「“プロミラン”専用紡糸機およびスチームコンデイショナーの開発に関する最終報告について」と題し、同会社が秘密としている資料一冊をほしいままに他に売却処分して利得しようと企て、同市中区栄町所在の喫茶店「コハク」付近に駐車中の自動車内において、被告人三宅俊祐にその情を打ち明けて協力方を依頼しこれを承諾した被告人三宅俊祐は、そのころ、更に被告人後藤和男にその情を打ち合けて協力方を依頼してその承諾を得、ここに右被告人三名は共謀の上、被告人三宅俊祐、同後藤和男において、そのころから数回にわたり、株式会社日本レイヨン会社員廣田素男に電話をし、同会社において右資料を買取るよう申入れ、或いは同人らに右資料を下見させるなど売買の下交渉をし、同年一二月七日、大阪市所在新阪急ホテル地下グリルにおいて、右資料一冊を代金一〇〇万円で右廣田らに売却し、もって横領し、

第二  被告人廣瀬正己(同被告人は、昭和五五年六月一一日養子縁組により旧姓山田から現姓の廣瀬と改姓したものであるが、証拠等の便宜のため以下旧姓により表示する。)は、大阪市内に本社を置く日本レイヨン株式会社(なお同会社は昭和四四年一〇月合併によりユニチカとなったもの。以下便宜上日レと略称する)取締役兼企画部長、被告人関博之は、同会社生産技術部長兼企画部員、被告人大須賀弘、被告人廣田素男は、いずれも同会社企画部員であったものであるが、前記「“プロミラン”専用紡糸機およびスチームコンディショナーの開発に関する最終報告書」と題する東レ所有の資料一冊を入手しようと企て、昭和四一年一二月六日ころ、右日レ本社内において共謀の上、同月七日、同市内の新阪急ホテル地下グリルで、右資料は、前記三宅俊祐、後藤和男らが前記東レから横領取得した賍物であることの情を知りながら、これを、同人らから代金一〇〇万円で買受け、もって賍物の故買をし

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

法律に照らすと、判示第一の被告人坂田の所為は、刑法六〇条、二五三条に該当し、被告人三宅、同後藤の各所為は、いずれも同法六五条一項、六〇条、二五三条に該当するが、被告人三宅、同後藤には業務上占有者の身分がないので同法六五条二項により同法二五二条一項の刑を科することとし、判示第二の被告人廣瀬、同関、同大須賀、同廣田の各所為は、いずれも同法六〇条、二五六条二項、罰金等臨時措置法(但し刑法六条、一〇条により、軽い行為時法である昭和四七年法律第六一号罰金等臨時措置法の一部を改正する法律による改正前のもの)三条一項一号に該当するので、各所定刑期及び金額の範囲内で被告人坂田を懲役一年六月に、被告人三宅を懲役一〇月に、被告人後藤を懲役八月に、被告人廣瀬を懲役八月及び罰金五万円に、被告人関、同大須賀、同廣田をいずれも懲役六月及び罰金三万円に、各処する。

被告人廣瀬、同関、同大須賀、同廣田において、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条によりいずれも金二、〇〇〇円を一日に換算した期間、その被告人を労役場に留置することとし情状により同法二五条一項を適用して本裁判確定の日から、被告人坂田、同三宅、同後藤に対してはいずれも二年間、同廣瀬、同関、同大須賀、同廣田に対してはいずれも一年間それぞれその懲役刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文を適用して主文掲記のとおり各被告人の負担とする。

(弁護人らの主張に対する判断)

一  判示第一の業務上横領について、被告人坂田、同後藤、同三宅の弁護人らは、(1)被告人坂田は、本件資料を業務上保管すべき義務がなかった、(2)本件資料は、被告人坂田に対し返還を要しない資料として無償譲渡されたもので東レの所有物ではない、(3)被告人三宅、同後藤は、いずれも身分のないものであるが、同被告人らには、被告人坂田が東レの社員としてその地位職務に基づいて本件資料を入手し、業務上保管するに至ったものであることの認識はなく、また被告人坂田との共謀はなく、共同実行の事実もない旨主張する。

また、判示第二の賍物故買について、被告人廣田、同大須賀、同関、同山田の弁護人らは、(1)本件資料は、被告人坂田が自由に処分することのできたもので東レの所有物ではない、(2)本件資料が賍物であることの知情はない、(3)昭和四一年一二月五日に、日レ本社内で、本件資料の買収について被告人四名の間で共謀をしたことはない、旨主張する。

そこで、これらの点について検討するに、前掲関係各証拠によると、次の事実を認めることができる。

(一)  被告人らの経歴及び被告人等相互の関係

1 被告人坂田は、昭和三〇年二月愛知県立A工業高校機械科を卒業と同時に東レに入社し、同年四月から愛知工場製造部機械科第三機械掛において染色機械設備の修理改善業務に、昭和三七年二月からは同課第一機械係においてナイロン6繊維の前処理工程、紡糸工程に関する機械設備の改善、開発業務に、昭和三九年一月からは同課第二機械係工事主任としてナイロン6繊維の前処理、溶融紡糸設備の改善開発された工事の設計、施行、監督に、それぞれ従事した後、昭和四〇年一月、東レ技術専門学校に入学して昭和四一年三月同校を卒業し、同年二月からは同工場工務技術課副部員として藤井敏満部員の下でナイロン6及びナイロン66繊維の溶融紡糸製造工程及び装置の評価開発改善並びにこれに伴う設備計画の立案等に従事していた。

被告人三宅は、昭和三〇年二月に前記A工業高校を卒業し、昭和三二年八月日野ルノー株式会社(後に名古屋日野モーターに社名変更)に入社し、セールスマン(後に販売課長)として勤めたが、昭和四二年四月に同社が愛知日野ディーゼル株式会社に吸収合併された際これを退社し、トヨタパブリカ名古屋株式会社千種営業所に販売課長として勤務していた。

被告人後藤は、昭和三五年一〇月ころ、前記名古屋日野モーター株式会社にセールスマン(後に販売主任)として勤務し、その後、前記のとおり昭和四二年四月同社が合併した際、被告人三宅と共にトヨタパブリカ名古屋株式会社に移り、同社千種営業所で販売課長代理として勤務していた。

被告人山田は、昭和一四年三月、京都帝国大学法学部を卒業し、直ちに日レに入社し、昭和三五年、企画部長に就任し、更に昭和四一年一一月からは取締役兼企画部長の職にあると共に、以後新たに設置されたナイロンフイルム事業開発室長をも兼任していた。

被告人関は、昭和二一年九月、京都大学工学部工業化学科を卒業し、昭和二二年六月日レに入社し、昭和四一年九月からは生産技術総務部長兼企画部第二課長、同年一一月からは、右生産技術部長兼企画部事業開発班参事主任部員の職にあった。

被告人大須賀は、昭和三六年三月、東京農工大学繊維学部繊維化学科を卒業と同時に日レに入社し、昭和三八年四月から企画部第二課技術部開発課員となり、昭和四一年一一月からは企画部事業開発班に所属すると共にナイロンフイルム事業開発室員をも兼ねていた。

被告人廣田は、昭和三六年三月、大阪市立大学経済学部を卒業と同時に日レに入社し、昭和四〇年一月から企画部第一課員となり、昭和四一年一一月からは企画部総務班に所属し、昭和四二年八月一七日、財務部第二課員となった。

2 被告人ら相互の関係

被告人坂田、同三宅は、前記A工業高校において三年間同級生であったが、同校卒業後は特に交際もなかったところ、昭和三九年ころ偶々再会し、その後被告人坂田は、同三宅の依頼により中古車の購入者を紹介したことから親しくし、被告人三宅は、同坂田が東レの工務技術課に勤務していることを知っていた。また被告人三宅、同後藤は、前記のとおり名古屋日野モーター株式会社においては、それぞれ販売課長、販売主任として、またトヨタパブリカ名古屋株式会社千種営業所においては、それぞれ販売課長、同代理として勤務していたことから親しく交友関係にあり、被告人坂田は、本件「プロミラン」資料売却に際して、被告人三宅から同後藤を紹介され、両者は知り合ったものである。

被告人山田は、前記のとおり日レ企画部長であり、被告人関、同大須賀、同廣田は、いずれも同部員であったもので、日レ企画部は、社長室直轄の機関として、経営上の新規諸企画の研究・立案・調整、長期計画の研究・立案、新規事業計画並びにこれに伴う企業計画に対する研究・立案、広報活動の外、経営に関する内外資料の蒐集・調査・研究、をその分掌事項としており、これらを総務班、事業開発班、広報班、目標管理班、市場調査班の五班で、それぞれに主任部員を置いて処理していた。

なお被告人関は、企画部長である被告人山田の技術面での顧問的立場にもあった。また、被告人廣田の所属する総務班の主任部員は、品質管理の業務を兼任し、主としてこれに従事していた関係上、総務の事務処理は事実上被告人廣田が、直接被告人山田の指揮監督の下に行うこともあった。

(二)  被告人坂田の本件当時における担当職務内容(なお、この点は、後記背任及び同未遂の訴因にも共通する事項でもあるので、便宜この段階において認定しておくこととする)

本件当時、東レ愛知工場で実施されていたナイロン6及びナイロン66(商標名はプロミラン)の繊維製造工程の大要は、前処理工程、紡糸工程、延伸工程から成っており、右の前処理工程というのは、製糸原料のモノマーを受入れてこれを貯蔵タンクに貯蔵し、これを乾燥機にいれて重合してポリマー(高分子化合物)を作り、出来たポリマーを冷却してチップ化する工程であり、右紡糸工程というのは、紡糸と引取から成っており、チップ化されたポリマーを紡糸機内のホッパーを通ってチップ供給部へ送り、そこからさらに溶融押出部へ送り、この溶融押出部に取り付けられた熱板によりチップが溶融され、口金を通って糸状になって押出され、冷却固定部(エアボックス、スチームコンディショナー)を通過する間に冷却固定化され、かように冷却固定化された糸状の物質は、引取機のローラーを通ってトラバース(綾取り装置)にかけられてドラムに巻取られる。また、右延伸工程というのは、右のようにしてドラムに巻取られた糸状の物質を所要の太さに引伸してこれをボビンに巻取り、製品としての糸にする工程である。

ところで、被告人坂田が、副部員として勤務していた東レ愛知工場製造部工部技術課は、同工場で製造しているナイロン6及びナイロン66の繊維の製造工程及び設備についての評価・開発・改善、工務技術の応用・開発、これら開発改善に伴う設備計画の立案に関する事項をその業務内容としており、これを同課長の下で、部員、副部員、係員約三〇名が、機械担当、電気担当、電気計測機担当、ナイロン製糸担当(通称ナ研)の四研究グループに分れて処理していたが、その後、前処理、第一工場、第二工場、ナ研の各担当グループに改組され、被告人坂田は、当初は機械担当グループに所属していたが、右改組後は、前処理担当グループに所属した。そして、昭和四一年一〇月から、昭和四二年九月迄の間における同被告人の担当事務の具体的内容は、東レ愛知工場における現有製造装置のうち、左記事項に関するものであった。すなわち、

1 乾燥工程の合理化対策という事項であり、これは、右製造工程中の原料のモノマーを真空乾燥機により乾燥する工程において、中間サンプルを採取する方法を確立すること、真空乾燥機内のチップ温度の測定をすること、及びそのための実験用モデル装置を試作することにより、製品の品質の均一化、操業の合理化を図ろうとするものであり、

2 紡糸スピードアップによる生産性向上のためのトラバース機構という事項であり、これは、右製造工程に使用されているカムボックス型の綾取機の綾取角度を改善して高速化すること、及びこれに伴う紡糸速度の高速化により発生するトラブル解決方法の調査研究に協力することであり、

3 マルチ多山取り技術という事項であり、これは、一つの口金、押出機から取り出された多数の糸を各別に巻取る方法について、現有設備の一ドラム一山というのを、一ドラム多山巻取るという技術を確立すること、及び東レ工務研究所で開発されたスピンドルドライブ型巻取機による巻取技術を確立すること、並びに試験巻取をする際に生じるトラブル解決の調査研究に協力することであり、

4 紡糸大型化に関する検討という事項であり、これは、そのための試験巻取機を設計製作するということであり、

5 プロミランの品質向上という事項であり、これはチップ化されたポリマーの溶融部の熱板の外周にバンドヒーターを巻きつけるという方法を調査研究すること及びPM型紡糸機構を改善するということであり

以上の各事項について、副部員(一般業務における主任に相当する)として、部員の指示、指導の下に指示された検討事項につき、或いは自発的に見出した改善項目について、企画、立案、調査、研究をし、その結果を報告書などにまとめて上司に報告することであった。

そのほか、被告人坂田は、右期間中の昭和四一年四月から同年一一月までは右業務の傍ら技術専門学校卒業者研究報告書の作成にあたり(同月一五日提出)、その後昭和四二年二月まではその発表会の準備をしていたが、右報告書は「プロミラン用PM型紡糸機熱板の検討」と題するものであり、この研究は、従来プロミランの熱板では溶融速度が遅く、ポリマーが溶剤に不溶となり熱の遡性が低下し、それが熱板上に異常滞留を生じるのでこれを防止するため、流動性のよい構造の熱板を研究したものであるが、十分な成果が得られず、製造工程で採用されるに至っていない。

なお、東レ就業規則七条は、従業員は、会社の業務上の秘密その他会社の不利益になることを漏らしてはならない旨定め、同規則一〇八条四号は、業務上の重大な秘密を漏らしたときは懲戒する旨定め、また、中央労働協約書三三条は、組合員が業務上の重大な秘密を漏らしたときは懲戒する旨定めている。

(三)  本件資料の概要及びその形状並びに被告人坂田の資料入手経緯及び本件資料の取引状況

1 本件「“プロミラン”専用紡糸機およびスチームコンディショナーの開発に関する最終報告について」と題する報告書(以下プロミラン最終報告書と略称)は、(1)紡糸機内におけるポリマーのゲル化(前記の溶剤に不溶となり熱可塑性が低下したものが異常滞留することを防止し、プロミランの品質向上、安定化及び操業性の向上を目指して各種タイプの紡糸機の比較検討、(2)多本取り方式の確立、(3)染めむら等の減少を目指して紡糸機中のスチームコンディショナー改善のため、その基礎データーの把握及び装置に関する検討を目的として、昭和四〇年一二月ころ、東レ愛知工場製造部技術課長小林孝蔵をグループリーダーとして、技術開発部、同部ナイロン製糸研究室、生産管理部、工務部、同部工務研究所の職員三五名(内管理者三名、担当技術者八名、協力技術者一六名、補助者八名)が参加して設置された委員会において、昭和四一年六月までの間に材料費、設備費等(人件費、諸検査費用を除く)に約二、〇〇〇万円を投入してなされた研究の最終報告書で、その内容目次は、「(1)序論、(2)開発体制、(3)検討方針、(4)得られた成果と今後の方針、(5)検討結果の詳細、(イ)専用紡糸機の開発に関する検討、(ロ)専用SCの開発に関する検討、(ハ)専用紡糸機およびSCの基本スペック、(6)付記、(イ)投入人員・経費および設備費、(ロ)報告資料」というもので、写真、図表等を貼付し、タイプ印刷された縦二五・四センチメートル、横一八・一センチメートルで、四六ページ(表書き、目次等を除く)のものであるが、右委員会は、昭和四一年八月二五日、右報告書を約三四部作成し、それぞれこの報告書を送付する旨の同年九月一〇日付送付書をつけ、その右上隅に「極秘」の角印を押捺し、常務取締役を始め関係者三一名に配付した。

なお、右報告書中には、前記目次のとおり専用紡糸機及びスチームコンディショナー等の基本スペック(型式・寸法・容量・仕様等)が記載され、また、「プロミラン専用紡糸機の開発過程で得られた紡糸機に関する諸知見、とくに多本取り用ダウサムボックスの技術は、ナイロン6の場合にも効果的に応用できるので今後積極的に活用すべきである」旨の記載がある。

2 そして、同年一〇月下旬、そのうちの一部が被告人坂田の上司であり右報告書の作成にも関与した工務技術課部員藤井敏満宛に配付されたが、同人は、右内容が被告人坂田の担当事務の遂行上参考になると考え、同年一一月初旬ころ、同被告人にこれを閲覧させるために手交し、同被告人は、これを同課事務室内の自己の事務机内にこれを保管していた。

なお、右資料は極秘扱いとなっており、右回覧後は右藤井管理にかかるスチール製キャビネットに収納され、同人が管理することになっていた。もっとも、右藤井は、本件資料を被告人坂田に手交した後、本件資料の行方を約一年間関知することが無かった。

3 本件資料の取引状況

昭和四一年一一月、被告人坂田は、同三宅と名古屋市中区栄町にある喫茶店「コハク」付近に停めてあった車の中で、同被告人に対し、「うちの会社でやっているナイロン66の製造機械や設備についての検討結果をまとめた最終報告書があり、これを日本レイヨンあたりに持って行けば買ってくれると思う。八〇〇万円で売ってほしい」旨誘ったところ、同被告人が「そんなことしてよいのか」と聞くので、同坂田は「自分が一冊持っている。まずだめだろうが一応あたってみてくれ」と頼むので、被告人三宅も結局これを承諾した。そこで被告人坂田は、同三宅の名刺の裏に、「最新情報ナイロン66の専用紡糸機とスチームコンディショナーの開発に関する最終報告書①費用は約二千万円②投入人員は三五名③期間四〇・一二~四一・六(半年)この情報により日レは生産を軌道にのせるのに短期間でよかろう、八〇〇万円でどうか」と書いたが、更に詳しく説明したものが欲しいとの被告人三宅の求めにより、有り合せの紙片に「情報資料“ナイロン66”専用紡糸機およびスチームコンディショナーの開発に関する検討、検討会最終報告書、〔Ⅰ〕上記資料により次のことが判る。1ナイロン66の最適製造機(紡糸機)とその方法、2ナイロン66製造に欠かせない主要部分の仕様、3色々な紡糸機によりナイロン66を製造した結果およびその技術、4ナイロン66製造上ネックとなるものおよびその解決策、5ナイロン66製造技術の確立をスピーデイにやるための人容と費用と期間、6ナイロン66製造技術確立のため使用した各種紡糸機の断面図(写真)、7その他、〔Ⅱ〕日レのナイロン66製造昭和四二年春3ton/日で試験生産開始(推定)日レの3ton/日 生産が軌道にのるのは昭和四三年夏以降になるだろう、(理由)ナイロン66は、従来のナイロン6よりもその製造技術がシビヤでありむつかしい、〔Ⅲ〕ナイロン66製造技術に関する情報の価値、1ナイロン66製造技術確立のために費やす費用、期間その他の無駄が省ける。2他社の製造技術が判明する。3その情報によりナイロン66の製造技術確立が短期に出来るため市場の確保、拡大がらくになる。東レのナイロン66攻勢(東レとの競合)に対し早く対向出来る。」と記載して渡し、利益金は被告人坂田が七分、被告人三宅が三分の割合(但し後に被告人坂田が六分、同三宅が四分に変更した)にすることとした。

しかし、被告人三宅は、右売込みを引き受けたものの一人では心細かったため、一、二日後、勤務先において、被告人後藤に「自分の友達で東レにいる坂田という男が会社の情報資料を持ち出して日レに八〇〇万円で売って儲けるという話があるのだが一緒にやらないか。自分の貰い分の四分を君にやる」旨述べて同人を誘ったところ、同被告人もこれを承知した。

そして、被告人三宅、同後藤の両名は、同月二六日正午前ころ、勤務先の名古屋日野モーター株式会社宿直室から大阪の日レ本社に電話をし、同社企画部の被告人廣田に対し、被告人三宅が、鈴木の偽名で前記被告人坂田の作成したメモを読み上げ、右資料を八〇〇万円で買取方申し入れた。そこで、被告人廣田は、直ちに同社企画部長である被告人山田にその旨を伝え指示を仰いだところ、同被告人は、「日レでは、ナイロン66の企業化を断念した後であるので、ナイロン66の資料はいらない。ただ何かの参考になるかもわからないから、いっぺん交渉してみたらどうだろう」と指示したので、被告人廣田は、同三宅に対し、とりあえず一度見せて欲しい旨の回答をした。

そこで、被告人三宅は、そのころ、被告人後藤を被告人坂田に紹介し、同被告人も被告人後藤が本件資料の売込みに参加することを承諾し、その際、被告人坂田は被告人後藤に、この件については絶対に他に口外しては困ると念を押しておいた。

その後、被告人三宅、同廣田間の電話による交渉の結果、国鉄新幹線名古屋駅で両者が会った上、資料を見ることになり、一旦は被告人山田の指示によって同廣田に、同大須賀、同関が同行して右資料を確かめることにしていたが、その後被告人山田の指示の変更により日レ側では名古屋行きを中止した。

そして、更にその後、被告人三宅、同廣田間において電話による交渉の結果、同年一二月三日大阪市内の新阪急ホテルにおいて双方が会い、日レ側で右資料を鑑定の上これを買い取るかどうかを決めることになった。

そこで、被告人坂田は、その前日ころである同月二日ころ(前記工務技術課内の自己の机の中に保管していた本件資料を持ち出して被告人三宅に渡し、同被告人はこれを持参して被告人後藤と共に翌三日午後、前記新阪急ホテルに赴いた。一方日レ側では被告人廣田の外に、被告人山田の指示により右資料の鑑定のため被告人関及び同大須賀も同行し、同ホテル地下グリルにおいて被告人三宅の持参した右資料を日レ側で鑑定することになったが、被告人三宅はその時間を一分間に制限したので主として被告人関が極く短時間目を通した後、日レ側では後日買受けるかどうかの返答をするとのことで当日は別れた。なお、その際、双方共名刺の交換はもとより、相互に自己紹介をすることもなかった。そして当日夜、被告人三宅、同後藤は、名古屋に帰り、被告人坂田と会って右の旨を報告し、右資料は一旦被告人坂田に返された。

他方、日レ側被告人廣田、同大須賀、同関らは、右三日は土曜日で右ホテルからそのまま帰宅し、また同月五日月曜日は被告人山田が会社を休んだ関係で、同月六日ころの午前中、日レ本社企画部において、同被告人に先日の右ホテルにおける前記資料の見分の結果を報告したが、その際、直接右資料の鑑定に当った被告人関は、「東レのプロミランの製造機械についての報告書であることは大体間違いない。」「一〇〇万円なら買ってもいい」との意見を述べ、被告人山田は、これに従い、被告人廣田に右金額で買受方交渉を進めるよう指示した。

そのころ、被告人三宅から同廣田に対し、買受け意思の有無について問い合せの電話があったので、同被告人は、被告人山田の指示のとおり一〇〇万円で買う旨の返答をしたところ、被告人坂田が直接被告人廣田に電話で右資料が価値のあるものであることを強調したが、日レ側では右金額以上は出す意向はないことが明らかとなったため、やむなくこれに応じることとし、同月七日、前記新阪急ホテルで取引がなされることになった。

そこで、右当日、被告人坂田は、再び前記工務技術課内の自分の机の中に保管していた前記資料を持ち出し、これを持って被告人三宅、同後藤と共に大阪に行き、被告人坂田は、右取引に際し、先方から専門的な質問が出た場合に備えて右ホテル近くの喫茶店で待機し、被告人三宅が、右資料を持参して右ホテル地下グリルへ行き、同所で、被告人廣田、同大須賀と会い、被告人大須賀が再度右資料を確認した上これを受領し、これと引換えに被告人廣田から現金一〇〇万円が被告人三宅に引き渡された。

なお被告人三宅は右取引に先立って、被告人坂田から、本件資料の出所が発覚することを防止するため、すくなくとも表紙に押されている受配布者の押印の部分を破り取ってから先方に渡して欲しい旨要望されていたので、右資料を被告人大須賀に引渡す際右押印の部分二、三ヶ所位を破った上で被告人大須賀に引き渡した。また、現金を受領するに際しては、被告人廣田から「東洋調査研究所」の名で領収証の作成を求められたため、被告人三宅においてこれを了承し、「東洋研究所代表者鈴木輝夫」名義で調査資料代金一〇〇万円の日レ宛領収証を作成交付した。

以上の本件取引の全経過を通じて、被告人坂田、同三宅、同後藤は、同廣田ら日レ側被告人に対し本名を明すことなく終始偽名を用いたままであり、また、被告人三宅と同廣田との連絡に際しても、被告人三宅は、その所在及び同被告人への連絡方法を明さず、もっぱら、同被告人から同廣田に対する電話により、一方的に連絡するだけであった。

また、当時、日レ企画部の情報収集のための予算は、半期(六か月間)六〇〇万円程度であり、本件以前に、同企画部が他から買取ったこの種情報資料の買取金額は、二・三〇万円を超えるものは殆んど無かった。

以上の事実が認められる。

もっとも、被告人廣田、同大須賀、同関が、前記新阪急ホテルで本件資料を見分した後、日レ本社において、右被告人らが被告人山田に対し、右見分の結果を報告したという事実の、日時、場所、方法の点については、山田B子の日記帳等の各証拠及び第七五回公判調書中被告人山田の供述部分によれば、同被告人は、右一二月五日は終日会社に出ていなかったことが認められ、従って日レ側被告人の各供述調書中、一二月五日に被告人関、同大須賀、同廣田の三名が打揃って被告人山田に対し同月三日の本件資料下見の結果を報告し、その際右取引の相手方がどのようにして右資料入手したかについて話が及び、またその席で右資料を一〇〇万円で買受けることが決った旨の記載のある部分(被告人ら全員の関係で採用されたもの)はいずれも措信することはできない。しかしながら、被告人廣田、同大須賀、同関は、当公判廷において、それぞれが被告人山田に報告した旨を供述しているところであり、この報告に基いて被告人山田が本件資料を一〇〇万円で買受けることを決定し、その交渉を被告人廣田に指示したものであって、しかも右取引は同月七日に行われたのであるが、右取引に先立って被告人三宅らの側では被告人坂田と日レ側で示す金額で取引をするかどうか打ち合わせる必要があったこと、また被告人三宅らは、名古屋から大阪の新阪急ホテルまで右資料を持参するもので、当然その往復のための所要時間等を考慮に入れて右日時を決めたものと考えられること、一方日レ側でも右買受けのための現金を準備する必要があること等からすると、右取引がなされた七日の当日に取引の日時が決められたとするよりも、その前日である六日に決められたとするのが自然であり、その際日レ側においては既に右買受価格を決めていたのであるから、被告人山田には六日にその報告がなされたということになり、しかも同被告人は、同日午前九時ころに出社し、同一〇時半ころには宇治市所在の日レ綜合研究所での会議に出席するため日レ本社を出た旨を当公判廷で供述しているところであるから、被告人廣田、同大須賀、同関の右報告は、同日の午前一〇時半ころまでの間になされたものと認めるのが相当である。

二(一)、以上の事実関係により、まず、被告人坂田、同三宅、同後藤の判示第一の業務上横領罪の成否について考えるに、前記認定の事実関係ことに、本件資料は、当時被告人坂田が担当していた業務遂行上参考になる資料であり、同被告人の上司である藤井部員から業務遂行上の参考として閲覧するようにとの指示を受けて交付されたものであること、本件資料は、その作成者である委員会のグループリーダーから藤井部員に送付されてきたもので、その配布先も限定されて極秘扱いとなっており、閲覧後は、藤井部員管理のスチール製キャビネットに収納して同部員が管理することになっていたこと、本件資料は、結局一〇〇万円で日レ側に売却されたのであるが、被告人坂田は、当初これを八〇〇万円で売却しようと企図し、本件資料の価値が極めて高価なものであることを知悉していたこと等の点からみると、右資料が、被告人坂田の独占的使用に委ねられ、使用後は専ら同被告人がその廃棄処分をも委されていたものとは認められず、これを受領後は会社所有物として同被告人において、業務上これを保管すべき義務があったものであり、同被告人もその旨知悉していたというべきである。もっとも、藤井部員が、被告人坂田に本件資料を手交して後、その管理に粗ろうな点があったことは否定し難いが、その故をもって、右認定を左右することはできない。

また、被告人三宅、同後藤は同坂田が「東レ愛知工場において繊維に関する研究をしている」者であることを知っていたこと、被告人坂田が、同三宅に対し本件資料の売却を誘った際の会話及び交付した右資料売込みのための説明メモの内容、被告人三宅が、同後藤に右事情を打明け、これに加担することを慫慂した際の会話の内容、被告人後藤が、同坂田に紹介された際、同被告人が固く他言を禁じていたこと、本件資料の売買が成立するに至るまでの日レ側被告人との交渉の経緯等に照らすと、被告人三宅、同後藤が、同坂田の職務内容及びその本件資料の入手経緯等を具体的に正確には知らなかったにしても、被告人坂田が、その勤務する東レ愛知工場において、その職務に基づいて入手し、保管中の同社の重要書類を会社に無断で持ち出して他に処分し利得しようとするものであることは十分認識したうえで、本件資料の売込みに参画したものであることは明らかである。してみると、本件資料は、被告人坂田が、その担当していた業務に関して、藤井部員から交付されて保管していたものであるから、同被告人の業務上占有していたものであり、被告人坂田、同三宅、同後藤は、共謀のうえ、本件資料の売却を実行したものと解するのが相当である。右弁護人らのこの点についての主張は採用できない。

(二)  つぎに、被告人廣田、同大須賀、同関、同山田の判示第二の賍物故買罪の成否につき考えるに、前記認定の事実関係ことに、本件資料取引に際して直接日レ側被告人との折衝に当った被告人三宅、同後藤は、その背後に東レ職員である被告人坂田がいることはもとより、鈴木という名以外には自らの素姓も明かさず、また右資料の入手経路等についても述べていなかったことからみると日レ側被告人らが、本件資料の出所あるいはこれを日レ側に売渡すに至った経緯を明確には知らないまま本件資料を買取ったものであることは否定し難い。しかしながら、本件資料にはプロミラン云云という表示がなされてあり、当時プロミランがナイロン66繊維の東レの商標名であることを日レ側被告人らはいずれも十分知っていたところであるから、本件資料が東レ関係の資料であることを右表題だけからでも同被告人らにとって明らかに認識できたこと、被告人三宅が同廣田に同坂田作成のメモを読みあげた際、その内容として、「東レのナイロン66攻勢に対し早く対向できる」旨を述べているものと考えられること、本件資料の形状、殊に本件資料の表に添付された送付書の氏名欄等には押印がなされてあり、一見して本件資料が原本であることが窺われること、その内容、殊にその研究期間は、昭和四〇年一二月から昭和四一年六月までのもので、本件資料表書きの送付日付は同年九月一〇日となっており、本件の最初の売込みまでに二ヶ月余を経たに過ぎないかなり新しいものであって、その内容からしても容易に部外者が入手できるようなものではなく、東レ関係の資料として信憑性が高いものと考えられたこと、電話での折衝あるいは右下見の際における被告人三宅らの言動ことに同被告人らはその本名や素姓を明らかにしないのみならず、電話による連絡も一方的に被告人三宅側からあるのみで、連絡場所等も被告人廣田らに知らせていないこと、本件資料の下見ないし取引が、日レ本社等で公然と行われたものではなく、ホテルの地下のグルリ等でひそやかな形のもとに行われたこと等からすれば、直接これらを見聞する機会のあった被告人廣田、同関、同大須賀らは少くとも本件資料が正常なルートを経てきたものではなく、場合によっては右資料に何らかの関係のある東レ社員等がこれを横領し、或いは盗み出したものであるかも知れないという未必的認識はあったものと認めるのが相当である。

また、被告人山田は、昭和四一年一二月六日ころ、被告人廣田、同大須賀、同関から、新阪急ホテルにおける本件資料の下見の結果報告を受けた際、本件資料は、東レ関係の資料として信憑性が高く、情報としての価値があることを知るに至り、その結果一〇〇万円で買取ることに決し、その買取交渉を被告人廣田に指示していること、本件資料の取引は、被告人廣田が同山田に指示を仰いで開始したのをはじめとして、その後の交渉は終始同被告人の指示に基づき、その決裁のもとに実施したものであること、日レ企画部の当時の情報収集のための予算額半期六〇〇万円からみてもかなりの高額であり、同企画部において本件以前に買取った関係資料の価額に比してもかなり高額のものであること等からみると、被告人山田も、前記同廣田、同大須賀、同関らと同様、すくなくとも本件資料について前記のような賍物であることの未必的認識を有していたものと認めるのが相当である。

もっとも、被告人廣田、同大須賀、同関、同山田の共謀成立の日時場所につき、検察官は、昭和四一年一二月五日ころ、日レ本社内において、右共謀が成立したと主張しており、右のように、昭和四一年一二月六日午前一〇時半ころまでに日レ本社内において共謀が成立したものと認定することは、検察官の主張のとおりではないけれども、検察官の右一二月五日ころという或る程度の幅をもって特定された日時の範囲内に含まれているものと解するのが相当であり、右のように認定するには訴因の変更を要しないのは勿論のこと、本件訴訟の経過及び弁護人らの意見陳述状況並びに被告人らの各供述状況にてらすと、被告人らに対し不意打ちとなって防禦の機会を失わせるものとは認められない。

よって、右弁護人らのこの点についての主張は採用することができない。

(無罪の理由)

第一  本件公訴事実の要旨

本件控訴事実の要旨は、次のとおりである。

「被告人坂田忠雄は、名古屋市西区堀越町字乗越二三八番地所在の東洋レーヨン株式会社愛知工場(なお東洋レーヨン株式会社は昭和四五年一月一日東レ株式会社と商号変更したもので、以下便宜上東レと略称する)製造部工務技術課員であって、合成繊維製造設備等の関発改良等の調査研究をなし、研究報告書を作成する事務等を処理し、同課員として同会社の所有する合成繊維関係の調査研究資料を適正厳格に秘匿し、保管する任務等を担当していたもの、被告人三宅俊祐、同後藤和男の両名は、名古屋市中区松ヶ枝町一丁目一番地所在の名古屋日野モーター株式会社(但しいずれも後にこれを退社し、その後の勤務先は同市同区岩井通一丁目二八番地所在のトヨタパブリカ名古屋株式会社)に勤務し、車両等の販売業務に従事していたもの、被告人山田正己は、大阪市大淀区中津本通一丁目二番地所在の日本レイヨン株式会社(昭和四四年一〇月合併によりユニチカとなったもの。以下便宜上日レと略称する)取締役兼企画部長、被告人関博之は同社生産部長兼企画部主任部員、被告人大須賀弘および同廣田素男は同社企画部員であるが、

一  被告人七名は、被告人坂田、同三宅および同後藤において、東レが極秘裡に開発した合成繊維製造装置等の設計図面等の資料が、同社内に秘蔵されているのを奇貨とし、これを写真複製する等して日レに売却して利得しようと企て、被告人廣田、同大須賀、同関、同山田等四名においても、日レの技術研究のため、右坂田をして東レの機密を漏泄させてその資料を買取り入手しようと企図し、被告人坂田は自己の利益を図る目的で前記職務上の任務に背き、また被告人三宅および同後藤は自己の利益、被告人山田、同関、同大須賀および同廣田は日レの利益を各図る目的をもって、いずれも被告人坂田がその任務に背き、東レの機密を漏泄するものであることの認識の下に、被告人等七名は共謀の上(但し被告人関については(三)の事実を除く)

(一) 昭和四二年一月中旬、被告人坂田において、被告人廣田等日レ側からポリエステル関係資料の漏泄方の依頼を受けるや、前記愛知工場製造部調査室から同社の機密資料であるポリエステル製造装置設計図約二〇部(研究開発費約八四〇〇万円)を持ち出し、これを写真複製にしてスクラップブック一冊に集録し、被告人三宅および同後藤の両名と被告人廣田との間において数次にわたりこれが売買の下交渉を重ね、同月二七日大阪市北区中之島二丁目二二番地所在の大阪グランドホテルにおいて、被告人三宅および同後藤と被告人大須賀および同廣田との間において右複製資料一冊を代金一二〇万円で、売買して即時その授受を了し、もって東レに対し財産上の損害をあたえ(背任)

(二) 同年五月中旬、被告人坂田において、前記愛知工場製造部工務技術課事務室から同社の機密資料である「M・A・S研究発表会報告概要」と題する資料一冊(研究開発費約一億円)を持ち出し、これを写真複製にしてスクラップブック一冊に集録し、被告人三宅等において前同様の下交渉を重ね、同月三〇日、前記大阪グランドホテルにおいて、被告人三宅および同後藤と被告人大須賀および同廣田との間において、右複製資料一冊を代金一三〇万円で売買して即時右資料の授受を了しもって東レに対し財産上の損害をあたえ(背任)

(三) 同月三〇日ごろ、被告人坂田において被告人廣田等からテトロンフィルム関係資料の漏泄方依頼を受けるや、大津市園山三丁目三番六号所在の東レ工務部工務研究所から同社の機密資料であるテトロンフィルム製造装置設計図五部(研究開発費約二、七八〇万円)を持ち出し、これを写真複製にして用紙五枚に貼付し、被告人三宅等において前同様の下交渉を重ね、同年六月二四日、前記大阪グランドホテルにおいて、被告人三宅および同後藤と被告人大須賀および同廣田外一名との間において、右複製資料一冊を代金二〇万円で売買して即時右資料の授受を了し、もって東レに対し財産上の損害をあたえ(背任)

(四) 同年七月下旬、被告人坂田において、被告人廣田等からタイヤコード関係資料の漏泄方依頼を受けるや、前記愛知工場製造部調査室から機密資料であるタイヤコード製造装置設計図約二〇部(研究開発費約三、九〇〇万円)を持ち出し、これを写真複製にしてスクラップブック四冊に貼布して集録し、被告人三宅等において前同様の下交渉を重ね、同年八月七日、大阪市北区小深町三八番地所在の新阪急ホテルで、被告人三宅および同後藤と被告人大須賀および同廣田との間において、右複製資料を代金一五〇万円で売買して即時右資料の授受を了し、もって東レに対し財産上の損害をあたえ(背任)

二  被告人坂田、同三宅、同後藤の三名は、被告人坂田において、東レが極秘裡に開発した合成繊維製造装置の一環である直接延伸引取機の設計図綴一冊が自己の属する東レ愛知工場工務技術課において秘蔵されていることを知るや、これを写真複製して他社に売却して利得しようと企て、この情を被告人三宅、同後藤に順次打ち明け、ここに被告人三名は共謀の上、各自自己の利益を図る目的をもって、被告人坂田の前記職務上の任務に背き、同年九月一八日ごろ、被告人坂田において、前記愛知工場製造部工務技術課事務室から右設計図を持ち出して写真複製した上、同年一〇月二一日ごろ、被告人三宅および同後藤の両名において、兵庫県明石市和坂字大坪一〇〇番地所在の川崎航空機工業株式会社神戸製作所応接室において、同社技術部長木上進に対し、同社において右複製図面を代金七〇〇万円で買取られたい旨申向けて右図面を売却しようとしたが、同社側において買取らなかったため、その目的を遂げなかった(背任未遂)

ものである。」

というのである。

第二  そこで、右公訴事実の順序にしたがって、本件各公訴事実の事実関係を順次検討する。

一  右公訴事実一の(一)のポリエステル製造装置設計図関係について

《証拠省略》によると、次の事実が認められる。

(一) ポリエステルは、東レが昭和三二年ころ英国のI・C・I社から技術を導入して生産を開始したもので、その後東レ独自で開発改善を加え、昭和三八年ごろからは安定した生産をして来たものであるが、本件資料は、東レ三島工場に設置されたポリエステル・フィラメント(長繊維)の製造機械(紡糸機、引取機)設計図の原図二〇枚を、大きい図面については原図一枚を写真四枚に、小さい図面については写真一枚に撮影し、これを名刺判に引伸した写真合計約五五枚を市販のスクラップブック(縦三〇センチメートル、横二三センチメートル)一冊の台紙一五葉に、紡糸機総組立図、紡糸頭明細図、名記欄拡大、P2のボデー明細図(下)、P2のボデー明細図(上)、P2の軸受箱明細、P2のバレル明細、ダウサムボックス明記欄拡大、P1のダウサムボックス明細、P11のダウサムボックス用名記欄拡大、ダウサムボックス詳細図、ダウサムボックス組立、同(勝手違い各種)、P1のリミットスイッチ組立図、名記欄拡大、加熱板組立(紡糸頭内溶融部)、熱板詳細図、P18の巻取機詳細等の表題で貼付し、これにネガフィルムを添付したもので、一枚目には紡糸機側面の略図の書き込みがある外、各部の名称、仕様、材質、操作上の注意事項及び「I・C・IのKNOW HOWでは銀板使用、銀板は一、〇〇〇千円程度でCOST UPになるので最近はAl製の熱板に切換中(Al製にすると溶融能力が約二〇~三〇%減少)」等の記載がある。

なお右各写真のかなりのものに「東芝機械株式会社沼津工場39・5・22付御参考用図」の印及び「東洋レーヨン愛知工場製造部機械課39・5・23受付の印が押捺されている。

そして、本件資料は、生産に直結し、社外に公表を許してはならない秘密の資料として取扱われていた。

本件資料は、東レ三島工場におけるポリエステルフィラメントの製造装置の設計図であって、被告人坂田の担当事務の対象である東レ愛知工場の現有ナイロン糸製造設備とは、原料、溶融温度、製品である糸の性質、用途が異なっており、これに伴って製造装置の構造も異なっており、被告人坂田の担当事務とは直接関係が無いものである。

右資料の原図は、東レ愛知工場製造部工務技術課二階の情報管理室(ドキュメンティションセンターと呼ばれ略称D・C)に保管されていたものであるが、被告人坂田は、昭和四二年一月一〇日ころ、同所において、係員からボール紙製図面箱に入った右紡糸機等設計図一八、九枚を借り出し、退社時に右図面箱から図面のみをとりだし、これを自宅に持ち帰り写真に撮って右複製資料を作成した上、同月二七日ころ右原図はD・Cに返還しておいたものである。

(二) 被告人三宅は、先の“プロミラン”専用紡糸機等最終報告書取引終了後、日レ側に対し、「これを機会にいろいろ取引を願いたい、何か欲しいものは無いか」という旨の申出をしていたが、重ねて、昭和四二年一月中旬ころ、日レ本社の被告人廣田に電話をし、何か入用なものはないかと問い合せたところ、被告人廣田の方でも、当時エステルフィラメントの資料を集めていた被告人大須賀に「例の資料を売り込みに来た二人組の男が何か欲しいものはないかと言って来ているが、入用なものはないか」と連絡し、同被告人も、東レのエステルフィラメントの資料を入手したい旨の希望を述べたので、右被告人両名は、これを被告人山田に相談したところ、同被告人から「それでは頼むように」との指示を受け、被告人廣田は被告人大須賀から右製造装置の名称を書いたメモを受取っていたので、これに基いて被告人三宅に対し「東レのエステルフィラメントの製造装置の資料が欲しい」旨を告げた。

そこで、被告人三宅、同後藤は名古屋市内の喫茶店「板橋」で被告人坂田と会い、同被告人に日レ側の右意向を告げた。被告人坂田は、ポリエステルは東レ三島工場で製造しているもので、その製造装置図面が入手できるかどうか疑問であったが、愛知工場D・Cに右図面の一部が保管されていることに気づき、前記のとおり、日レ側へ売却するための複製資料を作成する意図であるのにこれを秘し、担当事務に利用するように装って右図面をDCから借り出して自宅に持ち帰った。そして、被告人三宅、同後藤らに対しエステル用紡糸機と引取機の主要図面の写真なら入手できるので先方に連絡して欲しい旨を告げ、被告人三宅の手帳に売込み用のメモとして「御依頼の製造機械について調査した結果エステル用紡糸機と引取機の主要図面の写真を入手した。英国のI・C・I社の技術導入したもの、現在使用されている機械である。業務提携に関する事項として、1、エステルに関しての製造技術を日レ独自としても開発しておく必要がある。特にエステルの最近の成長は目覚しい。帝人に対しても日レ独自のエステル製造技術を持っていれば今後の対帝人との折衝も有利となる。2、たとえ業務提携で帝人がやっているとしても、今後の成長又は収益向上のためにも、三大合繊の一つといわれているエステルは、日レとしても当然生産し早く採算ベースにのせるべきと思う。東レは、昭和三三年にI・C・I社よりエステル製造技術導入して初期の設備をした。その後色々な改良も加えて現在使用しているマシンは、昭和三八年に設計されたものであり、現在のところその技術で安定生産している」。等と書き込み、二五〇万円で売込むように指示した。

そして、その翌日ころ、被告人三宅は同後藤と共に日レ本社の被告人廣田に電話をし、右坂田のメモを読み上げて二五〇万円で買い取るよう申入れたところ、被告人廣田から同山田にその旨の報告をし、同被告人から被告人関、同大須賀に右資料を鑑定させるよう指示があり、同月二〇日、前記、新阪急ホテルで日レ側が本件資料を下見することになった。

そしてこの間、被告人坂田において前記のとおり右複製資料を作成して同月一九日これを被告人三宅に手渡し、同月二〇日ころ、右ホテルに被告人三宅、同後藤がこれを持参し、一階ラウンジバーにおいて、被告人廣田、同大須賀、同関と会い、同所において、被告人関、同大須賀らがこれを一通り見た上、日レ側で検討しておくことにして当日は別れた。日レ側被告人三名は、当日、本社に帰り、被告人山田に対し、右下見の結果を報告し、被告人関、同大須賀は、共に、「東レの物に間違いないと思う、買ってほしい」旨申し出たので、被告人山田は、一〇〇万円位で買取り交渉をするよう被告人廣田に指示をした。

引続いてそのころ被告人三宅と同廣田との間で電話による価格の交渉が行われた結果、被告人山田の指示により右資料は一二〇万円で日レ側が買取ることとし、同月二七日大阪のグランドホテルにおいて、被告人三宅、同後藤は、被告人廣田、同大須賀と会って、被告人坂田から預ってきた本件資料を見せ、被告人大須賀が同資料を確認した上、現金一二〇万円で右資料の売買がなされ日レ側被告人に渡された。

二  右公訴事実一の(二)のM・A・S研究会発表資料関係について。

《証拠省略》によると、次の事実が認められる。

(一) 本資料は、「一九七〇年型の衣料用ナイロン製糸設備及びそのシステムの検討(新設ベースによる情報探索)並びに愛知第二工場の更新を目的」とし、昭和四〇年八月に工務部、生産管理部愛知工場、岡崎工場、中央研究所、工務研究所、ナイロン製糸研究室等の研究員約四〇名が参加して設置されたMAS(モダナイゼイション・アイチスピニング・システムの略号)委員会が、昭和四二年二月八日、工務研究所において、社内関係者約一〇〇名余を対象としてそれまでの研究結果発表報告会を行った際使用した掛図資料をマイクロ化して取りまとめ、これをほぼB5判大一〇三ページの小冊子としたもので、「ナイロンFY製糸工程の高速大型集中化に関する新しいノウハウが主体ですが、現状のプロセス改善の指針にもなると考えますので有効に活用して下さい」との表書をつけ、同年四月一九日、右委員会幹事 原主任部員から一三部が関係部署宛に送付されたが、その内の一部が工務技術課長宛にも送付されたもので、それを各ページ毎に名刺判大の写真とし、合計一〇六枚の写真を、「経過報告」「MAS―A」「プロミラン」「MAS―B」「MAS―C」「MAS―D」「今後の展開方向」の表題で分類し、前同スクラップブック一冊二九葉に貼付した上、そのネガフィルムを添付したものであって、右資料概要は次のとおりである。

MAS―A 低コスト糸製造のための紡糸引プロセスの開発を目的として、紡糸機チップ溶融部の大容量化、多分岐化、高速化等をテーマとして検討した結果の諸データを図表等にしたもの及びテスト装置概略図

MAS―B ナイロン衣料用引伸撚糸機について、大型、高速を主体として新機種の開発を行うと共に、後処理工程の合理化によるコストダウンを検討し、新型或いは改造機の運転結果の諸データを表にしたもの並びに新型機最終スペック、駆動系統図及び機械構想図等

MAS―C 直接紡糸延伸装置の技術開発を目的とし、高速巻取、高速延伸、熱固定、糸質、高次加工等のテーマで各種機械の運転結果を比較検討し、それを図表等にしたもの及び機械、装置等概略図

MAS―D マルチ分繊(多数の糸を同時に引取り、それをそれぞれの単糸に分けて巻き取ること)の各種方式を比較してその経済性、操業性を検討し、その結果を図表にしたもの及び試験装置図

プロミラン プロミランの現状と問題点を指摘し、その各問題点について検討した結果を図表に表わしたもの及び生産機構想図、部品略図

なお右資料表題用紙右横には「東洋レーヨン株式会社工務研究所」と印刷してある。

本件資料は、社内でも特に取扱いに注意を要するものとして秘密の指定がなされており、社外へ漏泄することが禁じられている。

本件資料は、一九七〇年代、衣料用ナイロン製糸設備の検討及び愛知第二工場の更新を目的とするもので、このうちM・A・SBは引伸撚糸機に関するもので、前処理工程、紡糸工程を担当する被告人坂田の事務には関係がないが、MAS A、MAS C、MAS D、プロミランの部分は、検討結果の諸資料等が記載されてあり、被告人坂田の担当事務遂行上の参考資料となるものである。

右資料は、前記のとおり昭和四二年四月一九日ころ、MAS委員会幹事から関係部に配布されたもので、そのうちの一部が工務技術課長宛に送付され、これを受領した同課長代理藤井敏満部員は、これを同課の部員へ回覧にまわしたが、同年五月初ころ、被告人坂田は、右資料がナ研グループの大塚部員に回って来た際、同人に断ってその内容を読んだ上、被告人三宅らを通じて日レ側にこのような資料がある旨伝えさせたところ、日レ側では一度見たいとの事であったため、同月一九日ころ、右工務技術課の前記大塚部員の机上にあった右資料を同人に無断で持ち出して、右被告人三宅らに渡し、これを日レ側に見せさせた後、被告人三宅から返還を受け、一旦は会社に持参して大塚部員の机上に戻したが、その後日レ側では右資料の買受けの意向を示したため、再び右大塚部員の机上から右資料を無断で持ち出して自宅に持ち帰り、これを写真に撮影して前記複製資料を作成し、右原本はそのころ会社に持参して大塚部員の机上に戻しておいた。ところが同月二九日、写真撮影をした右複製資料を売却のため日レ側に見せたところ日レ側では右写真には不鮮明な個所があり、同一性に疑問があるというので更に無断で右原本を工務技術課から持ち出して再び被告人三宅、同後藤に手交し、同月三〇日同被告人らにおいて日レ側に見せた上、被告人坂田が返還を受け、再び工務技術課にこれを戻しておいた。

(二) 被告人坂田は、前記のとおり昭和四二年五月初めころ、右資料が回覧として回っていた際、これは売れると考え、そのころ、被告人三宅、同後藤にその売込方を依頼したところ、同被告人らもこれを了承した。そこで被告坂田において右資料の売買価格を二五〇万円として、その概要を説明し、これに基いて被告人三宅が日レ本社の被告人廣田に電話をし、右資料を右価格で買って欲しい旨申入れた。

一方日レ側では、被告人山田は、同年四月二九日ころから海外に出張することになっていたが、その出発の二、三日前、被告人廣田から、鈴木という男から東レのナイロン技術の近代化についての資料を買って欲しいと言って来ているがどうするかと尋ねられたので、「被告人関及び大須賀に見てもらってよければ買ったらどうか。もう少し安くなるよう交渉しろ」と指示し、被告人廣田は、同大須賀、同関にも前記三宅からの電話の内容を報告した。

そのころから同年五月一七日ころ迄にかけて、被告人三宅は、前記申入れの回答を求めて被告人廣田に電話をして右日レ側の意向を聞き、直ちに被告人坂田にその旨を報告した。

そして、被告人三宅は、あらかじめ右被告人坂田から同被告人が前記のとおり東レから持ち出した本件資料原本を受領し、同月一九日ころ、これを持参して被告人後藤と共に前記新阪急ホテルに赴き、同所地下グリルにおいて日レ側被告人廣田、同大須賀、同関と会い、同被告人らに右資料を鑑定のために閲覧させた。被告人関、同大須賀がこれに目を通した上、後日連絡することとして、当日は別れた。

ところで、日レ側では、被告人山田が出張中であったため、同被告人から買取りを一任されていた被告人関の指示により、被告人廣田において右資料の買取方の交渉をすることになり、その後被告人三宅、同廣田間において電話による折衝の末、右複製資料を代金一三〇万円とし、同月二九日ころ大阪グランドホテルにおいて売買することになった。

そこで被告人坂田は、前記のとおり再度右資料を大塚副部員の机上から無断で自宅に持ち帰り複製資料を作成した上、被告人三宅にこれを手渡した。

同月二九日ころ、被告人三宅は、右複製資料を持って被告人後藤と共に右ホテルに赴き、被告人廣田、同大須賀と会い、右資料を見せたところ、被告人大須賀は、右資料は不鮮明であり、前回見た原本と同一かどうか疑問があったので、電話で他所にいた被告人関の指示を仰いだところ、原本と照合してから買った方がいいだろうとのことであったため、当日の取引は中止された。

そして、被告人坂田は、翌三〇日、重ねて右資料原本を会社から持ち出し、被告人三宅らに手渡し、同被告人は、同後藤と共に、右資料原本及び複製資料を持参して、同日ころ、前記グランドホテルで、被告人廣田、同大須賀と会い、同被告人らは、右資料原本と複製を照合確認した上、現金一三〇万円で右複製資料を買受けてその交付を受け、そのころ帰国して出社した被告人山田にその旨を報告した。

なお被告人廣田が右当日用意した現金一三〇万円は、被告人山田が出張前企画部総務班主任部員中村克巳に預けて行った印鑑により会計担当者から出金して貰ったものである。

三  右公訴事実一の(三)のテトロンフィルム製造装置設計図について。

《証拠省略》によると、次の事実が認められる。

(一) テトロンフィルムは、東レが昭和三五年ころから開発したポリエステルフィルム(テトロンはポリエステルの東レでの商標名であり、右フィルムの商標名はルミラー)で、本件資料は、最終的に確立した製造技術に基き、東レにおいて基本的仕様を決定し、東芝機械製作所にこれを製作させて昭和三九年に納入され、東レ滋賀事業所において生産中の右製造装置の設計図約一〇〇枚の内、押出機の全体組立図面、「ストックスクリュー」と題する押出機のスクリュー形体図面、「Tダイ組立」と題する口金部分のTダイ組立図面、「キャスティングドラム(冷却塔)組立」と題するドラムが組込まれたキャスティング装置組立図面及び「ドラム組立」と題するキャスティングドラムのうちのドラム本体の組立図面(いずれも青図)各一枚、合計五枚(縦約一一八センチメートル横約八四センチメートルのもの二枚、縦約八四センチメートル、横約五九センチメートルのもの二枚及び縦約五九センチメートル横約四一センチメートルのもの一枚)を、原寸大でトレーシングペーパーに鉛筆を使用して手書きで、筆写し、各図面の明記欄には枠に機械の名称のみを記入し、その上部に各図面を名刺判大に写した写真を各一枚宛に貼付したもの及びテトロンフィルム製造装置概略についての五、六枚に記入した説明書である。

なお、写真撮影された原図には、いずれも、御承認用図、東芝機械株式会社沼津工場(但し日付印は、押出機につき39・1・17、ストックスクリューにつき38・5・11、Tダイにつき38・6・4、キャスティングドラム及びドラム組立につき39・1・29)、承認東洋レーヨン株式会社工務部計画第四課、機械課常備図課外持出厳禁等の印が押捺されている。

本件資料の原図には、秘の指定の記載はないが、生産に直結し、社外に公表を許してはならない秘密の資料として取扱われていた。

本件資料は、東レ滋賀事業所において生産中のテトロンフィルムの製造装置の設計図であって、被告人坂田の担当事務の対象である東レ愛知工場におけるナイロン糸製造装置とは全く異る製造装置についてのものであって、被告人坂田の担当事務とは直接関係が無いものである。

右製造装置設計図は、東レ滋賀事業所施設部図面管理室保管のものであるが、被告人坂田は、後記のとおり、被告人三宅から、日レ側が本件資料を欲しがっている旨聞いていたので、昭和四二年三月四日、所用で工務研究所に出張の機会に口実を設けてこれを借り出そうと企て、上司の藤井部員に対し、右資料を借り出したい旨申し出たところ、同人から右資料は同被告人の担当事務に関係が無く、必要が無いとの理由で断られたので、前記同被告人の大容量紡糸機等の開発研究の資料になる旨虚言を用いて右事業所から資料借受けの許可を得、事前にその旨を連絡したうえ、同事業所工務技術課長に面会して右資料の借受けを申し込み、同人の指示を受けた担当職員である同課副部員河野基亜に対し、「フィルム製造装置設備のうち、溶融押出し及びTダイ、キャスティングドラムの部分について図面を用いて説明して欲しい」旨申入れ、同人に前記図面管理室から右設計図のファイル四冊を借り出して貰い、同人から右図面に基いて原料の溶融、押出し及びフィルム成型に至る技術上の問題点及びその対策について説明を受け、そのうちの前記設計図五枚を借り受けて自宅に持ち帰った。そして自宅で、前記のとおり、右図面を原寸大でトレースしたもの五枚を作成し、また右図面を写真に撮って前記複製資料を作成すると共に、右説明を基にして前記テトロンフィルム製造装置概略についての説明書を作成した後、そのころ、借り受けた図面五枚を前記河野宛に送り返した。

(二) 一方、日レでは、昭和四二年一月ころ、ナイロンフィルムの企業化のため試験生産を開始したが、当時厚薄むら等Tダイスの調整機能等に基因するトラブルがあり、その解決策に苦心していたところ、そのころ東レではTダイスに調整装置が設けられているとの情報があったため、被告人大須賀は、東レのTダイスに関する資料を入手してこれを参考にしようと考え、その旨を被告人山田に進言し、これに賛成した同被告人からその買取交渉をするように指示された。

そこで被告人大須賀は、同月二七日大阪グランドホテルにおいて前記ポリエステル製造装置設計図等の取引終了後、被告人三宅らに対し、テトロンフィルム(ルミラー)の押出機、Tダイスの構造設計図等および温度と圧力の条件についての資料が欲しい旨申入れた。

被告人三宅らは、そのころ被告人坂田に右日レ側の意向を伝えたが、テトロンフィルムは、東レ滋賀事業所で生産しており、右資料も同所で保管しているものであったため、被告人坂田においてこれを入手できるかどうかを調査した上で返答することになった。

そして、被告人坂田は、同年三月四日、滋賀石山の工務研究所に出張した際に前記のとおり右製造装置設計図等を入手することができたため、早速右資料を複製し、被告人三宅、同後藤に右資料の概要を説明するなどして右資料を三五〇万円で売却するための交渉を依頼した。

これを受けて、被告人三宅は、同後藤と共に被告人廣田に電話をし、右資料を三五〇万円で売り渡す旨を告げて売買の交渉が進められたが、同年四月中旬に至り、右売買代金が高額すぎることと、日レ側ではその後Tダイスの開発研究が進み前記技術上の問題点も解決して、もはや右資料を必要としなくなったので、被告人山田は、右資料買受の話は断るよう指示し、その後の被告人三宅からの電話の際、被告人廣田においてその旨を告げ右資料の売買交渉を打切った。

しかし、その後被告人三宅から再三にわたって被告人廣田に対し、右資料を買取るよう要求したため、同年六月になって、被告人大須賀から右三宅らの執拗な申入れ状況を聞いた被告人山田は、先方が二〇万円位で売るというなら買取るように指示した。

右日レ側の意向を聞いた被告人三宅、同後藤、同坂田らは、これを了承し、同月二四日、右複製資料を被告人坂田から受領していた被告人三宅が、同後藤と共に前記大阪グランドホテルに赴き、客室において、日レ側被告人廣田、同大須賀及び日レ綻合研究所研究員でナイロンフィルム製造責任者である真下剛志と会い、同所において右複製資料を検討した上、現金二〇万円で右売買取引がなされ日レ側被告人に交付された。

四  右公訴事実一の(四)のタイヤコード製造装置設計図について

《証拠省略》によると、次の事実が認められる。

(一) ナイロンタイヤコードは主として自動車用タイヤの芯に使われるナイロン6糸で、東レでは昭和三五年ころから、その研究、開発を始めたものであるが、本資料は東レ岡崎工場に設置された(但し口金部分を除く)右タイヤコードの製造装置の設計図の原図約一〇〇枚を、図面一枚について一枚乃至四枚の写真に撮り、これを名刺判に引伸した写真合計三三四枚を、前同スクラップブック四冊に貼付し、そのネガフィルムを添付したもので、そのNo.1と表示してあるものには、紡糸機総組立図、押出部組立図、加熱溶融部組立図、ヒーターボックス組立図、溶融部重要部品図(熱板)、(紡糸部)、ポンプ駆動部組立図、減速箱組立図、冷却塔組立図(取付図)、糸冷却塔部品図の表題で写真七一枚を二〇葉の台紙に貼付したもの、そのNo.2と表示のものは、引取機図面(総組立図)、(部品図)の表題で写真九六枚を台紙二九葉に貼付したもの、No.3と表示のものは、延伸機(総組立図)、(部品図一式)の表題が記入され、写真一一一枚が台紙三〇葉(但し一枚は継ぎ足したもの)に貼付されたもの、No.4と表示のものは、熱処理プレート(熱板)の表題があり写真五六枚が台紙一六葉(但し一枚は継ぎ足したもの)に貼付されたものであって、右No.1の写真中には機械各部の名称等の記入がある外、No.4には、熱処理温度、紡糸温度、紡糸速度、紡糸巻取量、延伸速度、延伸率、延伸巻取量の各データーが記入されてある。

なお、右写真中の図面には、「御承認用図面株式会社芝浦機械製作所36・3・27」「承認東洋レーヨン工務部計画第二課36・3・31」(ポンプ駆動部組立)「御承認用図東芝機械株式会社沼津工場37・10・14」「承認東洋レーヨン株式会社工務部計画第二課37・10・29」(駆動系統図)等の押印がしてある。

本件資料は、生産に直結し外部に公表を許さない秘密の取扱いを受けている。

本件資料は、東レ岡崎工場でタイヤコードの製造に使用されている製造装置の図面であって、被告人坂田の担当事務の対象である愛知工場の衣料用ナイロン糸製造装置とは異なるものであって、同被告人の担当事務とは直接関係が無いものである。

右資料原図は、前記愛知工場D・Cに保管してあったもので、被告人坂田は、昭和四二年七月一五日ころから同月二〇日ころまでの間三回にわたって右資料貸出係に右製造機図面約一〇〇枚の借用方を申込んで借り出し、そのころこれを同工場から持ち出して被告人三宅方に持参し、同被告人及び被告人後藤と共に写真撮影をし前記複製資料を作成した上、右借出した図面は同月二六日ころまでに前記D・Cに返還した。

(二) 被告人大須賀は、昭和四二年三、四月ころ、被告人山田から、さきに東レが開発したタイヤコードの新製品「T七八一」の調査を命じられていたところから、同年五月三〇日前記のとおり大阪グランドホテルにおいて、MAS研究発表会報告概要の取引後、被告人三宅らに対し「東レのT七八一の資料が集まるかどうか調べてほしい」旨申入れた。

そこで被告人三宅らは被告人坂田に右日レ側の意向を伝えた。当時タイヤコードは東レ岡崎工場において生産しているものであり、右資料も愛知工場D・Cに保管されていることが判明したので、被告人坂田は、同年七月ころ、同三宅、同後藤らと会い、入手できる資料の概要を書いたメモを交付し、右資料を二五〇万円で日レ側に売却するよう依頼した。被告人三宅は、同後藤と共に同月中旬ころ被告人廣田に電話をし、右坂田の作成したメモを読み上げて入手できる資料の内容を告げ、これを二五〇万円で買受けて貰いたい旨申入れた。

右電話を聞いた被告人廣田は、その内容を被告人大須賀に報告し、同被告人から更に報告を受けた被告人山田が有用なものであれば買受けるよう指示したので、被告人廣田は、そのころ被告人三宅から電話があった際、同月二七日新阪急ホテルにおいて、日レ側で右資料を下見する旨を告げた。

右日レ側の意向を聞いた被告人三宅、同後藤は、同坂田にその旨を伝え、同被告人が前記のとおり同月中旬ころ東レ愛知工場D・Cから日レ側へ売却する為の複製資料を作る意図であるのにこれを秘し、その担当事務に利用するように装って借り出し、被告人三宅方に持ち込んだ右装置設計図を右三名で写真撮影し、出来た写真をスクラップブックに貼付するなどして右複製資料を作成し、右約束の同月二七日ころ、被告人三宅、同後藤においてこれを右新阪急ホテルに持参し、同ホテル客室において、日レ側被告人廣田、同大須賀及び同被告人から右資料の鑑定を依頼されて同行してきた被告人関と会い、右資料を閲覧させたところ、右被告人関、同大須賀は、「右資料中に熱処理部分やノズルプレートの図面がない。ノズルブロックの組立図がないのでノズルプレートの取付位置がわからない。紡糸機と引取機の全体図が欲しい。」旨や紡糸の速度と巻取量、延伸の速度と倍率及び巻取量など不備、不明の個所があることを指摘し、右質問事項をスクラップブックに書き込むなどして、これらが明らかにならない限り右資料は買取れないとのことであったため、被告人三宅、同後藤は、被告人坂田に右の次第を伝えて右日レ側の質問事項に対する回答を用意させ、右資料を補充した。

そして、同年八月はじめころ、被告人三宅は、同後藤と共に前記新阪急ホテル客室において、被告人廣田、同関、同大須賀と会い、右複製資料を見せ、被告人坂田から聞いた回答を伝えたが、その際にも「オイリングロールの回転方向、上段下段に使用している油材の組成(できればその現物)、熱処置装置の温度」等について重ねて質問されたので、被告人三宅らは、これを後日連絡することとして、当日は取引をするに至らなかった。

そして、被告人大須賀、同三宅らは、同山田に右の折衝につき報告し、右資料を購入したい旨要請したので、同被告人は、右資料を買取るよう指示した。

一方、被告人三宅、同後藤は、被告人坂田から再度質問を受けた右事項について回答を受けて右資料を補充した。

同月七日ころ、被告人三宅、同後藤は、右複製資料を持参し、同ホテル客室において、被告人廣田、同大須賀と会い、同被告人が前の質問事項についての回答を検討し、資料を確認した上、現金一五〇万円で右複製資料の売買が行われ、被告人大須賀がこれを受け取った。

五  右公訴事実二の直接延伸引取機設計図について。

《証拠省略》によると、次の事実が認められる。

(一) 直接延伸引取機は、従来紡糸工程と延伸工程が別個の機械で行われていたものを一体化し、溶融部から吐出されたポリマーをドラムに巻取る前に延伸し、これによって従来未延伸糸の貯蔵運搬に要した時間、場所、労力等を省き、コストの低減を図ろうとするもので、昭和四一年秋ころから東レ工務研究所が主体となり、これに愛知工場技術課ナイロン研究室の研究員らも加ってテストを重ねた結果、生産機の仕様が決定され、工務研究所においてその図面を作成昭和四二年五月ころ愛知第一工場内に試験機一台が設置され、引続き試験生産から市販可能な製品の生産へ移行する態勢にあったものであるが、本件資料は右装置設計図を編綴した縮刷版の図面及び青写真図面をそれぞれ一枚乃至四枚の写真に撮り、これを名刺判に引伸した写真合計三五八枚を前同様のスクラップブック四冊に貼付したもの(No.1と表示のものは写真八九枚を台紙二九葉に、No.2と表示のものは写真一二一枚を台紙三〇葉に、No.3と表示のものは写真一二〇枚を台紙三〇葉に、No.4と表示のものは写真二八枚を台紙七葉にそれぞれ貼付)と、「〇〇八m/cリボンブレーカについて」と題する二八ページの説明書及び「DW―S8SP建準生産機概略仕様(説明全資料)」と題する書面五枚、「DW―S仕様一覧表」と題する書面四枚をそれぞれ一枚ずつ写真にとり、これも名刺判に引伸ばしたもの合計三七枚を前同様のスクラップブック一冊の台紙一五葉に貼付したもの(No.5と表示)、並びに縦約二四センチメートル、横約一八センチメートルの横罫紙四枚に鉛筆書で「直接延伸引取機について」と題し、①関係図面②仕様③糸質及び生産成績④その他(右スクラップブックと共に相手方に提供される本機により生産された糸のサンプルについての説明等)の項目で記載された説明書である。

右スクラップブックに貼付された図面の写真の殆んどのものには明記欄が写っており、それには、「東洋レーヨン株式会社工務部工務研究所」と記載されている。

本件資料は、生産に直結し、外部に公表を許さない秘密の取扱を受けていた。

本件資料は、従来の紡糸工程中の巻取と延伸引取工程とを一体化した全く新しい構造の製糸装置に関するものであって、被告人坂田の担当事務の対象である東レ愛知工場の現有ナイロン糸製造装置とは全く異なる製造装置であり、同被告人の担当事務とは直接関係が無いものである。

右設計図は、昭和四二年五月中旬ころ、右作成に当った東レ工務研究所から愛知工場製造部工務技術課長宛に三部送付されて来たもので、一部はD・Cに保管され、二部(但し内一部は縮刷版)は同課ナ研担当グループの細島英進副部員が執務の参考資料としてこれを利用するため、同課事務室内の木製書棚内に無旋錠のまま収納していたものであるが、被告人坂田は同年九月はじめころ、残業後、右細島に無断で右縮刷版一冊を同所から持ち出し、被告人三宅方で、同被告人及び被告人後藤と共に前記複製資料作成のためその写真を撮影した上、翌日に出勤して右縮刷版は前記書棚に返還した。そしてそのころ、前記細島部員から右機械について説明を受けこれを基に「直接延伸引取機について」と題する前記説明書を作成した。

被告人坂田は、昭和四二年九月はじめころ、自社の直接延伸引取機設計図の写真を、そのころ同機械の開発に当っていた川崎航空機工業株式会社に売り込もうと企て、被告人三宅に対し、右資料を五〇〇万円で売込みを依頼したが、同被告人は、そのころ被告人後藤にその事情を打明けて従前と同様その協力方を依頼し、同被告人もこれを了承し両名話し合いの上で、被告人坂田には無断で右資料を七〇〇万円で売込むことにした。

そこで、被告人三宅は、そのころ、川崎航空機工業株式会社明石工場の機械事業部技術部長木上進に電話をし、右機械図面の写真等を七〇〇万円で買取る意思の有無を打診したところ、右木上からその資料を見た上で決めたいとの返答があったため、そのころ被告人坂田にその旨を連絡し、同被告人が、前記のとおり東レ愛知工場から持ち出し、被告人三宅方に持参した右機械設計図及び資料を、写真撮影し、出来上った写真をスクラップブックに貼付するなどして複製資料を作成した上、同月末ころ、被告人三宅、同後藤の両名において、右資料等を川崎航空機工業株式会社大阪営業所に持参したが、右木上は、検討して決めたいので暫く待って欲しいとのことであった。

その後、右木上は右資料買い取りについて検討した結果、同社としては右資料を買取らないことにしたが、右資料原本は、かねて同社と取引関係のある東レの物と認められたので、その意向を確かめるため、右資料の写真を売りに来ている者がある旨の通報をしたところ、東レではこれを買い戻したいので現金七〇〇万円は東レ側で用意することにし、買取りを偽装して欲しい旨依頼があったため、右木上は、そのころ、被告人三宅から買取り意思の有無について問合せの電話があった際、右資料を買受けるので同年一〇月二一日川崎航空機工業株式会社明石工場に持参して欲しい旨返答をした。

被告人三宅、同後藤は、同日午後一時ころ、右明石工場に右資料等を持参し、これと引換えに右木上から現金七〇〇万円を受領したが、その直後待機していた警察官に逮捕された。

第三  背任及び同未遂の成否についての当裁判所の見解

一  刑法二四七条の背任罪が成立するためには、或る一定の他人の事務を処理するものが、当該事務を処理するにあたり、その事務処理をなすにつき負担している任務に違背し、本人に対する加害目的又は自己もしくは第三者の図利目的で、当該事務処理行為に出ることを要するものであり、当該行為が右の任務に違背するものではなく、事務処理の範囲を逸脱してなされたものである場合には、他の罪を構成することはとも角、刑法二四七条の背任罪を構成するものではない。

かような観点から、まず、被告人坂田について、本件各所為が背任ないし背任未遂罪を構成するか否かについて検討する。前記認定の事実関係(業務上横領及び賍物故買の関係で一括認定した事実をも含めて)によると、被告人坂田の担当事務は、東レ愛知工場で当時ナイロン糸製造に用いられていた製造装置に関するものではあるけれども、その全般にわたるものではなく、要するに(一)前処理工程中の、真空乾燥機によりポリマーを重合する過程での中間サンプルを採取する方法を確立すること、真空乾燥機内のチップの温度を測定すること及びその為の実験用モデル装置を試作すること、(二)紡糸工程中のカムボックス型綾取機を高速化すること及びそれに伴う紡糸の高速化により生じるトラブルの解決方法の研究について協力すること、(三)紡糸工程中の巻取部分について一ドラム一山という方法で巻取っていたのを一ドラム多山で巻取る技術を確立すること及び紡糸を大型化するための試験巻取機を設計製作すること、(四)ナイロン66(プロミラン)製造装置の紡糸工程中の熱板を改善すること等という極めて限定された部分について、開発改良のための調査研究をし、研究報告書を作成する事務を担当していたものにすぎないのであって、合成繊維製造設備全般について開発改良の為の調査研究をなし研究報告書を作成する事務までをも担当していたものではない。また、被告人坂田は、右担当事務を処理するにあたって知ることのできた東レが秘密とする事項を適正厳格に保持し、これを社外に漏してはならない任務を有していたものというべきであるが、しかしながら、およそ東レの有する合成繊維関係の調査研究結果資料であればすべて適正厳格に秘匿し保管するという広範な任務までをも有していたわけではない。

かように、被告人坂田の担当事務ないし有していた任務は限定されたものであって、被告人坂田は、本件各資料の内容となっている製造装置等についての調査研究を担当していたものではなく、これら各資料を担当事務処理のために入手したものではなく、その保管ないし秘匿の任務もなく、これら各資料を担当事務の処理として社外へ持出して処分したわけではないのである。この点をさらに説明すると、本件各資料は、東レでは秘密の取扱いを受けており、実質的に秘密に属するか否かはとも角として、すくなくとも主観的秘密ないし形式的秘密に属する事項が記載されているものではあるが、被告人坂田がこれら各資料の内容となす調査研究に関与したのでないことは勿論のこと、(一)ポリエステル製造装置設計図の原図は、東レ三島工場の製造装置についてのものであって被告人坂田の担当事務とは直接関係が無く、東レ愛知工場DCに保管されていたものを、日レ側へ売却する資料を複製する意図であるのにこれを秘して自己の担当事務に利用するよう装ってDC係員を欺罔して借り出し、自宅に持ち帰って写真撮影して複製資料を作成し、約一七日後に原図をDCに返還し、右複製資料を日レ側に売却したものであり、(二)MAS研究会発表資料の原資料は、一九七〇年代の衣料用ナイロン糸製造装置の検討等に関する資料で、被告人坂田の担当事務遂行上参考資料となるものではあるが、同被告人の上司である東レ愛知工場工務技術課長ないし課長代理藤井敏満主任部員がこれを保管していたものであり、これを同課の部員に回覧中(同被告人ら副部員及びその他の係員へ回覧に回されたものではない)ナ研グループの大塚部員が机上に置いて保管中のものを、日レ側に売却する資料を複製するために無断で持ち出して自宅へ持ち帰り、写真撮影して複製資料を作成したうえ原資料を右大塚部員の机上に戻しておき、右複製資料を日レ側へ売却したものであり、(三)テトロンフィルム製造装置設計図は、東レ滋賀事業所に設置され生産中の製造装置設計図で、被告人坂田の担当事務とは直接関係が無く、その原図は、同事業所施設部図面管理室が保管しているものであり、被告人坂田は、日レ側へ売却する資料を複製する意図であるのにこれを秘して担当事務に利用するように装って、上司の藤井部員及び右原図の保管者である同事業所工務技術課長ら担当係員を欺罔して借り出して自宅に持ち帰り、写真撮影して複製資料を作成したうえ、右原図を係員に返還し、右複製資料を日レ側へ売却したものであり、(四)タイヤコード製造装置設計図は、東レ岡崎工場に設置された製造装置の設計図であり、被告人の担当事務とは直接関係が無く、その原図は、東レ愛知工場DCで保管しているものであり、被告人坂田は、日レ側へ売却するための資料を複製する意図であるのにこれを秘し、担当事務に利用するかの如く装ってDC係員を欺罔してその原図を借り出して被告人三宅方に持参し、写真撮影して複製資料を作成したうえ、約六日後に右原図をDCへ返還し、右複製資料を日レ側へ売却したものであり、(五)直接延伸引取機設計図は、被告人坂田の担当事務とは直接関係が無く、その原図は、東レ愛知工場製造工務技術課長ないし同課ナ研担当グループの細島英進副部員が同課事務室内の木製書棚内に収納して保管していたものであり、被告人坂田は、川崎航空機側へ売却するための資料を複製する意図でこれを無断で持ち出し、被告人三宅方へ持って行って同所で写真撮影して複製資料を作成したうえ、その翌日、右原図を右書棚内に返還し、右複製資料を川崎航空機側へ売却しようとしたが果さなかったのであって、これを要するに、MAS以外の資料は、被告人坂田の担当事務と直接関係が無く、MASの資料も被告人坂田の担当事務の遂行上参考となしうるというにとどまり、いずれの資料も、その保管者は、東レ愛知工場技術工務課長ら、同工場DC、東レ滋賀事業所施設部図面管理室各係員であり、被告人坂田は、これらの各資料を複製して他へ売却する意図で、当該管理者に無断で持ち出し、ないし、右意図を秘し自己の担当事務に利用するかの如く装って当該管理者を欺罔して借り出して自宅等へ持ち帰り、一日ないし十数日間これを自己の占有下にとゞめ置いて写真撮影して複製し、複製した資料を日レ側ないし川崎航空機側へ売却し、ないし売却しようとしたもので、被告人坂田のかような所為は、不法領得の意思をもってなした窃盗ないし詐欺並びにそれらの事後処分というべきものであり、被告人坂田の担当事務である東レ愛知工場の現有のナイロン糸製造設備の開発改善のための調査研究報告書作成という事務処理としての所為ではなく、事務処理の範囲を逸脱した所為であるといわなければならない。なるほど、被告人坂田は、担当事務の処理上知り得た秘密事項を保管秘匿すべき任務を有することは勿論であるけれども、本件各資料は、その事務処理上知り得たものではなく、右のような不法な所為により領得したものであり、かような不法な所為に出ることは東レ従業員としての一般的忠実義務に基づくかような所為に出てはならない義務に違反するものではあるけれども、かような不法に領得したものについてまで、領得後においてなお保管秘匿すべき任務を負担するものと考えることはできない。検察官は、本件各資料は、被告人坂田がその有する東レ愛知工場技術工務課副部員たる地位に基づいて取得したものである以上、他に売却するという意図の有無にかかわらず、これを保管秘匿すべき任務を有するものである旨主張するけれども、たしかに被告人坂田は、右副部員である地位にあったからこそ本件各資料がそれぞれの保管場所に保管されてあることを知ることができ、かつ入手することもできたということはできるけれども、借り出した各資料は、副部員たる地位を悪用して欺罔行為に出ることによりはじめて入手することができたものであり、無断で持ち出した各資料は、副部員という地位に無関係に無断で入手して持ち出したものであり、いずれも本来副部員たる地位に基づく担当事務の処理として入手したわけではないから、担当事務の処理のために入手したものについて保管秘匿の任務を有するのと同一に考えることはできない。なるほど被告人坂田の資料入手の主観的意図を無視して考えるならば、いずれの資料も副部員たる地位に関連して入手したということができないわけではないけれども、その行為を主観的意図目的を離れて評価することは困難であり、被告人坂田の副部員たる地位と本件各資料とが右の意味で関連性があるということだけで、被告人坂田に本件各資料の保管秘匿の任務が生じるものということはできない。また、被告人坂田は、就業規則等に基づいて東レ所有の秘密を保管し、これを社外に漏してはならない義務を負担しており、被告人坂田の本件各所為は、かような義務に違反する側面を有するけれども、かような義務は、同被告人の担当事務との関係の有無を問わず存在するものであって、かような義務違反は、雇用契約に基づく一般的忠実義務違反としての責任を生じることはあっても刑法二四七条の背任罪にいう事務処理についての任務違背として評価することはできない。

かようなわけで、被告人坂田の本件各所為は、背任ないし背任未遂罪にあたらないものと解するのが相当である。

そうすると、被告人坂田の本件各所為が背任ないし同未遂罪にあたらない以上、同被告人との共同正犯の責任を問われている被告人三宅、同後藤、同廣田、同大須賀、同関、同山田の本件各所為もまた背任ないし同未遂罪を構成しないものといわなければならない。

二  また、被告人廣田、同大須賀、同関、同山田は、背任罪の主体としての身分を有しない共同正犯者として起訴されているのであるが、身分のない者について共同正犯者としての責任を問うためには、これらの者にも身分のある者について同罪が成立するのに必要な任務違背の認識と同じ程度の任務違背の認識があることが必要である(最判昭和四〇年三月一六日、最高裁判所刑事裁判集一五五巻六七頁)ものと解すべきものである。かような観点にたって検討するに、前記認定の各事実関係ことに、前記東レの「プロミラン専用紡糸機及びスチームコンデイショナーの開発に関する最終報告について」と題する資料を被告人坂田、同三宅、同後藤らから買受けて入手したのを契機として、被告人廣田ら日レ側被告人の方から被告人三宅ら東レ側被告人に東レの資料が欲しい旨の注文をして本件各資料を次々買受け入手したこと、入手交渉中の双方のやりとり、入手した各資料の記載内容等から考えると日レ側被告人らは、被告人三宅、同後藤は本件各資料の売却のためのブローカーであり、その背後には東レないし各製造装置を製作した会社の技術関係者らが居り、これらの者がなんらかの方法で本件各資料を不正に入手して複製して売却しようとしているのではないかという程度の認識を有したことは否定することができないが、東レの従業員である被告人坂田が関与していることや、同被告人の担当事務及び本件各資料の入手方法について迄の認識を抱いていたものではなかったものと認められる。そうすると、被告人廣田、同大須賀、同関、同山田は、背任罪の共同正犯者としての認識を有せずこの点からみても、同被告人らの本件各所為について、背任罪の責任を問うことはできない。

かようにして、被告人らに対する本件各公訴事実は、いずれも犯罪の証明が無いから刑訴法三三六条により、被告人らに対し、それぞれ無罪の言渡をする。(なお、被告人坂田の本件各所為は、窃盗ないし詐欺罪を構成し、他の被告人らもこれにかかわりがある可能性も無いわけではないが、本件審理の経過ことに、本件審理の当初の段階においてすでに弁護人らからかような点について問題の提起がなされているのに検察官は、終始右各罪を構成するものではない旨主張してきたもので、起訴後すでに一三年余を経た現段階において、訴因の変更を検討することは相当でないものと考える。)

(弁護人の主張に対する判断)

一  公訴棄却申立

弁護人らは、

(一)  昭和四二年一二月一六日起訴にかかる被告人ら七名に対する各背任の四個(但し被告人関については三個)の訴因について検察官は当公判廷において、右四個の各訴因毎に個別的な共謀がなされた旨主張するが、右起訴状には冒頭に「被告人ら七名は共謀の上」との記載があるのみで、それぞれの訴因には、その主張するような共謀事実(殊に日時、場所)の記載はなされておらず、右冒頭の記載は、それぞれの個別的共謀から共通の徴標として抽象した概念に過ぎないものであり、従って本件起訴状には個別的共謀に関する具体的事実の記載はないものである。

そして、右の共謀または謀議の存在は罪となるべき事実であり、犯罪構成要件事実である以上、検察官が共謀と目する具体的事実が特定記載されるのが当然であり、それがない以上被告人らとしては、如何なる事実をもって共謀ありとされているか全く不明であり、防禦権を行使することができず、訴因が特定されたものと言うことはできない。従って本件起訴は刑訴法二五六条三項に違背し無効である。

(二)  右背任の訴因について、検察官は、訴因の訂正を重ね、釈明も転々と変るなどの事態を招いたが、これは本来背任罪とはなりえないものを背任として起訴しておきながら、その根本的な問題をあえて覆いかくそうとしたもので、事態を直視して法律的検討を加えるという基本的義務を全く果さず、本件は、公訴維持権を濫用したもので、公訴棄却すべきものである。

(三)  被告人廣田に対する昭和四二年一一月二五日付起訴状第二の公訴事実、被告人大須賀に対する同月二九日付起訴状、被告人関、同山田に対する同年一二月六日付起訴状の各賍物故買の公訴事実において、訴因として、同被告人らが買受けた物件について、『「プロミラン専用紡糸機およびスチームコンディショナーの開発に関する最終報告について」と題する東洋レーヨン所有にかかる極秘資料一冊を、それが賍物であることの情を知りながら』とあるのみで、それがどのような理由で賍物であるかについては全く記載されていない。被告人の防禦のためには、右物件が、誰のどのような領得犯罪行為によって獲得されたものであるかを知ることは不可欠であって、右のような起訴状記載では刑訴法二五六条三項の罪となるべき事実の特定がなされたものとは言えず、本件起訴は無効である。この点は、その後昭和四三年一一月五日付起訴状訂正申立書(第三回公判期日において申立)によって、「右三宅外二名から、同人らが東洋レーヨンより横領取得したものであることの情を知りながら」と訂正されたが、右のような重大な瑕疵によって無効であった起訴状が、右のような訂正によって補正され、有効となるものではない。

(四)  本件捜査は、被告人廣田の令状主義に反する拘束から始まり同被告人及び被告人大須賀に対しては強制による虚偽の自白調書作成、起訴後の違法取調べがなされ、これに基づき被告人山田、同関に対しても追求、強制がなされた結果、調書が作成されたもので、この違法は単にそれらの調書の証拠能力の問題にとどまらず、全体としてその捜査は違法であるというべきであって、本件各起訴はその違法捜査に基づくものである。また被告人廣田、同大須賀に対する賍物故買の起訴は嫌疑不十分の違法な起訴である。

よって右各起訴は、刑訴法三三八条四号により公訴を棄却すべきものである。

と各主張するので、以下これらの点について判断する。

1 まず、右(一)の主張について

そもそも、共謀共同正犯において、共謀の事実は罪となる事実であるから起訴状に罪となる事実を記載するにあたっては、数人共謀のうえ共同一体として具体的犯罪行為を実行した旨及び実行行為の日時、場所、行為の態様を特定して記載すれば足り、共謀の日時、場所までをも記載するのでなければ罪となる事実の記載がなされたものと認め難いと解するのは相当ではないものと考える。かように考えると、本件昭和四二年一二月一六日付起訴状には、前記無罪の理由の項記載の本件公訴事実一の(一)ないし(四)と同旨の記載がなされているのであるが、右の記載からすれば、四個の各背任の訴因につき、共謀の具体的日時、場所の記載が無く、被告人らに事前の包括的共謀があったとする趣旨に解される可能性も無いわけではないが、反面各訴因毎の共謀を共通事項として抽出して記載したものと解する余地もあるのであって、このいずれの趣旨の記載であるのかを明らかにし、この点についての被告人の防禦をなし得るよう起訴状自体において共謀の日時、場所を明示することがのぞましいことはいうまでもないところである。しかし、この点は、検察官の釈明により明らかにすることにより被告人において防禦することができるわけであるから、右のような程度の記載であっても、起訴状における訴因の明示方法としては欠けるところはないものといわなければならない。しかして、本件においては、起訴状朗読後、検察官の釈明により、右共謀は、各訴因毎に個別になされたものとして、各共謀の日時、場所を明らかにし、被告人らの防禦に必要な事実を具体的に明示しているところでもある。かようなわけで、本件公訴が無効のものであるということはできない。弁護人らの本主張は採用することができない。

2 つぎに、右(二)の主張について。

本件審理の経過をみると、各背任の訴因について、検察官の釈明、主張等が前後一貫しない場合が無かったわけではないが、そのために公訴維持が違法であって公訴の無効をきたしたものと認めることはできない。弁護人らの本主張は採用することができない。

3 さらに、右(三)の主張について。

被告人廣田、同大須賀、同関、同山田に対する賍物故買の各起訴状には、当初「被告人らは、プロミラン専用紡糸機およびスチームコンディショナーの開発に関する最終報告書についてと題する資料を、それが賍物であることの情を知りながら代金一〇〇万円で買い受け、もって賍物の故買をした」と記載してあったが、その後、検察官は、第三回公判期日に、右起訴状訂正を申立て、右の賍物であることの情を知りながらという部分を「三宅外二名が東レより横領取得したものであることの情を知りながら」と訂正したことは弁護人ら主張のとおりである。

しかしながら、賍物故買罪における賍物という概念は、財産罪たる犯罪行為により領得された財物で被害者が法律上追及することができるものを指称するのであるから、賍物罪における罪となる事実の明示方法としては、賍物であることを知って故買等の行為をなした旨を示せば足るのであり、その賍物の被害者及び如何なる財産犯により領得されたものであるかまでをも示さなければならないものではない。本件において、検察官の釈明前の各起訴状には、「賍物であることの情を知りながら、プロミラン専用紡糸機およびスチームコンディショナーの開発に関する最終報告についてと題する東レ所有にかかる極秘資料一冊を代金一〇〇万円で買受け、もって賍物を故買したものである」との記載があり、これによれば、被告人廣田、同大須賀、同関、同山田らの買受けた右資料が賍物であることを窺うに十分であり、賍物故買罪の訴因の表示としては欠けるところは無いものというべきである。各起訴状が無効のものであるということはできない。また、第三回公判期日において、検察官は、前記のとおり被告人らの防禦に支障を生じないように補正しているところでもある。弁護人らの本主張は採用することができない。

4 最後に右(四)の主張について。

《証拠省略》によると、被告人廣田は、昭和四二年一一月四日早朝、自宅から兵庫県警察本部所属の警察官二名により任意同行を求められ、右警察官らと一緒に自宅を出て自動車に乗せられ、座席の左右を右警察官にはさまれたままの状態で午前八、九時ころ兵庫県警察本部に連行され、同本部地下の取調室に入れられて警察官と向いあって坐り、警察官から「東レの資料を買ったのであろう」と聞かれたほかは何も聞かれず、便所へ行く際は警察官が見張りのために便所までついて行き、外部との連絡は一切許されず、そのような状態のままで時が経過し、同日午後六時一〇分に同被告人に対する逮捕状が執行されたが、それまでの間、被疑事実および供述拒否権の告知がなされていないことが認められる。この事実によると、被告人廣田は、すくなくとも、兵庫県警察本部に連行された午前八、九時ころから逮捕状が執行されるまでの間は、逮捕状によることなく逮捕状態におかれ、逮捕に伴う所要手続も履践されておらず、逮捕手続に違法な点があったことは否定しえない。また、本件の一部被告人に対し起訴後の取調べがなされたことは本件の審理中にすでに明らかにしたところである。しかし、その他に被告人らに対し、強制等にわたる違法な取調べがなされたような事実は認め難いのであって、被告人廣田に対する右逮捕手続に違法な点があったことを考慮にいれても、本件の捜査手続が全体として違法であったとまでは認められない。また、被告人廣田、同大須賀に対する賍物故買の起訴が、その起訴の時点において嫌疑不十分であったとは認められない。そのほか、本件各起訴を無効とすべき事実は認められない。

弁護人らの本主張は採用することができない。

二  証拠排除の申立

被告人廣田、同大須賀、同関、同山田の弁護人らは、第一一回公判期日において、証人藤井敏満につき、同証人は、右証人尋問に先立つ検察官の事前準備の際、検察官から同証人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書並びに第八回及び第一〇回公判調書中同証人の各供述部分(速記録)の閲覧を受けたものであるから証人適格がないものであり、同証人のこれまでの供述及び第一一回公判期日における供述は本件証拠から排除すべきものである旨主張するのでこの点について検討すると、第一一回公判調書中証人藤井敏満の供述部分によれば、同証人は第一一回公判期日における検察官の再主尋問の事前準備のため、右期日前に検察庁において検察官から事情を聞かれた際、第一〇回公判調書中の同証人の供述の速記録の一部分の読み聞け、或いは閲覧を受け、また検察官が読んでいるのを傍から見た事実が認められる。

もっとも、同証人は、証人尋問の事前準備の際に、検察官から同証人の検察官及び司法警察員に対する供述調書を見せられたかの如く供述したり、その供述を撤回したりしているのであるが、要するに、同証言によると、第八回公判調書中の同証人の供述速記録中の字句の点について、所用で裁判所書記官室へ行った際、その確認のため見せられたことはあるが、右速記録を検察官からは見せられたようなことはなく、また捜査段階における同証人の供述調書を検察官から見せられたことは無いことが認められる。

ところで、証人に対し供述録取書を読み聞かせ、或いは閲読させる場合には、証人に誤った記憶を生ぜさせ、その供述をゆがめるおそれがあるから、公判前における証人尋問の準備の場合においてもこれを避けなければならず、不当な影響を与えるような供述録取書の閲読、読み聞かせは許されないものというべきである。

しかしながら、本件においては、同証人が第一一回公判期日の準備のため検察官から見せられたのは、前回すなわち第一〇回公判期日における同証人の証言の速記録中の明確でない部分を読み聞けあるいは閲覧したというものであるから、第一〇回以前すなわち第八回及び第一〇回各公判期日における同証人の各供述にはなんら問題は無く、第一一回公判期日の同証人の供述についても、見せられたのが公判調書中の証言の速記録なのであるから、捜査段階における供述録取書とは異なり、そのことにより証人の供述に不当な影響を与える危険性はすくないうえ、第一一回公判期日における検察官の同証人に対する再主尋問の内容は、前回の供述の一部訂正あるいは補充に終始していることにてらすと、検察官から第一〇回公判調書中の速記録の一部を見せられたこと等をもって、同証人に不当な影響を与えたものとは認められず、同証人の第一一回公判調書中の同証人の供述記載部分の証拠能力を否定しなければならない理由がない。その他、同証人の供述の証拠能力を否定すべき事実は認められないから、弁護人らの右申立は理由が無く、これを棄却する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小河巌 裁判官 近藤道夫 裁判官 鳥羽耕一)

〈以下省略〉

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